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よっちの搭乗した飛行機

資料:航空自衛隊HP(http://www.jda.go.jp/jasdf/gallery.htm

T−34(メンター)

  乗員 2名
  エンジン  コンチネンタル空冷水平対向6気筒
0-470-13(225馬力) 
  全幅 10.004m
  全長 7.885m 
  全高 2.921m
  全備重量 1352kg  
  最大速度 304km/h  
  航続距離 1185km  
初期の自衛隊機で活躍していた初級練習機で、原型機は1948年12月に初飛行した。構造は従来の練習機に比べて高級で、前輪式引込脚や定速プロペラを備えた、全金属製低翼単葉機である。操縦しやすく軽快かつ頑丈な機体は、荒い操作をする訓練生にうってつけであった。計器飛行に必要な設備も搭載しているため、初級の計器飛行も可能であった。自衛隊には、1954年輸入された20機と、富士重工によってライセンス生産された126機の計146機が導入され、当時不足していたパイロットの教育に大活躍した。また、ライセンス生産を通して学んだアメリカ式生産技術の手法は、戦後の航空再建の原点となった。
よっちのコメント
搭乗期間:昭和47年〜昭和48年
飛行時間:33時間
始めての搭乗飛行機でした。
独特のオイルの匂いがします。
これで飛行機酔いする人が結構居ました。
33時間の飛行時間のため何が何かわからないまま卒業しました。
初めての単独飛行では、尾翼の下に赤い吹流しをつけて飛びました。


T−1(ジェット練習機)

  乗員 2名
  エンジン BSオルフェーズ80506(1,810kg×1)  
  全幅 10.5m  
  全長 12.1m  
  全高 4.0m  
  全備重量 5,000kg  
  最大速度 880km/h  
  航続距離 1,760km  

Tー1は富士重工が開発した国産初のジェット機です。
航空自衛隊では初等練習機として第2操縦訓練に使われています。

T−1AとBでは基本的には搭載エンジンが違うだけで,A型の方には イギリス,ブリストールシドレー社のオーフェーズ Mk.805 が,B型の 方には石川島播磨工業が開発したJ3エンジンが搭載されています。

よっちのコメント
搭乗期間:昭和48年頃
飛行時間:約90時間
ジェット機の加速感のすごさは言葉に表せなかった。
手順が、ジェット機のスピードについて行けなかったほど。
素直なよい飛行機。
この飛行機の思いでは、芦屋のコースのコマンダーの
松田1尉の強烈な個性とT−1が一緒の印象のほか特になし。


T−33A(ジェット練習機)

  乗員 2名
  エンジン J33-A-35(2,090kg×1)  
  全幅 11.9m  
  全長 11.5m  
  全高 3.6m  
  最大速度 820km/h  
  航続距離 2,000km  
朝鮮戦争で活躍したF-80をベースにしたこのT-33Aは、1956年、川崎重工でノックダウンながら国産第一号ジェット練習機として生産され、航空自衛隊に受領された。
以来43年間、航空自衛隊で数多くのパイロットを育ててきたが、1999年の事故をきっかけに2000年4月、残念ながら正式に退役が決定した。
よっちのコメント
搭乗期間:昭和48年頃〜平成3年頃
飛行時間:約840時間
最初の搭乗は、松島第4航空団第35飛行隊の基本操縦課程の学生として訓練を受けました。
直線翼のため、着陸が難しい。
接地速度が狭い範囲であり、所謂返し操作が難しく、狭い接地点にきっちりと接地するためには高度の技量を要します。
エンジンもシンプルで丈夫、機体も元戦闘機らしく丈夫な飛行機でした。
最初のころ、航法計器にはADF(ラジオ無線局のある方に針を示す。)しかなく、これで全国を航法しました。
外部点検では翼の上にジャンプして上がりますが、一苦労でした。
何故かTバードと呼ばれました。
このチップタンクを外して一度飛んで見たかったと思います。


F−86F

  乗員 1名
  エンジン   
  全幅 11.9m  
  全長 11.4m 
  全高 4.5m  
  最大速度 M0.95  
  行動半径  960km  
1950年代(昭和25年代)を代表する典型的な機体となった傑作機です。特に朝鮮動乱でのソ連のMIG-15との対決は航空史上に名を残すものであろう。
よっちのコメント
搭乗期間:昭和49年頃〜昭和53年頃
飛行時間:約440時間
戦闘機操縦課程(第4航空団第七飛行隊)で乗り始める。
ハチロクという名称で親しまれました。
一人乗りの戦闘機で、技術指令書も全部英語でした。
最初のフライトから、単独飛行でした。
教官機が後ろにピッタリと付いて、教育を受けました。
今から思うと、教官は大変だったと思います。
この飛行機で、要撃戦闘訓練、空対空射撃訓練、空対地射爆撃訓練、空中戦闘訓練の基礎を学びました。
最初の勤務した部隊は、小牧にあった第3航空団第8飛行隊勤務です。
アラート勤務し、初めてのスクランブル発進を経験しました。
操縦特性がよく、間違って上に向け速度がなくなっても、安全な飛行機です。
8飛行隊はFS部隊で、築城、三沢、千歳と空対地射爆撃訓練で移動訓練で飛びまわりました。


F−104J


F−104

UF−104
  乗員 1名
  エンジン ジェネラル・エレクトリック社製J79-GE-19 アフターバーナー付き
ターボジェット・エンジン 1基    
アフターバーナー付きの定格静止推力 8,119kg
  全幅 6.68m(翼端なし)  
  全長 16.69m  
  全高 4.11m  
  全備重量 14,060kg  
  最大速度 マッハ2.2または2,338km/時(高度10,970m)  

非常にスマートな胴体に、極端に短い直線的な主翼を持つスタイルは、「有人ミサイル」、「最後の有人戦闘機」と形容され、これに匹敵する衝撃度のデザインを持つ現在活躍中の軍用機は、ノースロップB-2爆撃機、 F-117ナイトホークなどのステルス機やSR-71などが挙げられるけれども、これらの軍用機は非常に特殊な立場をとっており、柔軟さから捉えると F-104は特筆すべき存在といえます。

 そもそも朝鮮戦争に於いて最新鋭戦闘機であったF-86が、敵機である Mig-15に対して十分な優位性を持ち合わせていないことが判り、ロッキード社がF-86に代わり、高度18000m以上への戦闘上昇力をもつ、マッハ2以上の戦闘機として企画したのがF-104です。20mmバルカン砲や熱線追尾ミサイルによる武装とともに、当時の趨勢であった後退翼ではなく、最大でも10cm、後端部では剃刀のように薄い主翼を採用することで得られる高速性能が最大の武器でした。

 1954年に初飛行から四年後、空軍に制式配備されたものの、エンジン不調や、コックピットの下部から脱出する方式の射出式シートが問題となり、エンジンを改良した後も、航続距離が短いことを理由に翌年敢えなく退役させられ、1963年に再び防空空軍に復帰したものの、同盟国への供与や、テスト機に廻される機体も少なくなく、このほかに搭載能力を強化し、空中給油能力を持つ戦闘爆撃型も配備されたものの、米国空軍での境遇は良いものではなかったのです。

 しかし米空軍によって見放されたのと同時期に、旧西ドイツにおける国内生産を前提とした戦闘機導入計画に於いて、低空地上攻撃任務に耐えうる胴体設計の変更と、それまでの最大の弱点であった航空電子装置を最先端のもの(実戦初搭載のものを含めて)を装備することによって採用が決定したのです。このF-104Gの登場は、西側諸国の多用途超音速戦闘機を求める動きに合致し、米国政府もその導入を後押しすることで、カナダ、オランダ、ベルギー、日本が機体の輸入あるいはライセンス生産の契約を結び、F-104Dと、名称が異なるがほぼ同性能を持つ機体が約 1500機以上生産されたのです。

 イタリアでは1960年代中期にF-104Sという機種がライセンス生産されることになりました。移動目標指示、追尾機能によってレーダー誘導ミサイルを運用し、なおかつ等高線/地表マッピングと地形回避モードを持つレーダーを装備することで、より高度な戦闘能力をもたせています。

よっちのコメント
搭乗期間:昭和53年頃〜昭和56年頃、昭和58年頃〜昭和60年頃 平成3年頃〜平成6年頃
飛行時間:約900時間
千歳の第203飛行隊と二回目は沖縄の第207飛行隊で勤務しました。
とにかく翼面過重が大きく、スピードがなければ飛んでいられない飛行機でした。
スピード命!そんな飛行機でした。
しかし、このスピードとダッシュ力は当時の技術としてはすばらしいもので、スタイルにも現れていると思います。
そんなわけで、操縦は決して簡単なもので有りませんでしたが、好きな飛行機です。
真っ直ぐ飛ぶ限りにおいては最高でした。
オートパイロットもあり、他の飛行場へ行くときは快適でした。
この飛行機で、米空軍のF−15と異機種戦闘訓練をよくやりました。
一撃離脱と編隊連携により負けない戦法に徹しました。
最初の頃は、飛ぶだけで神経を使ったものです。
飛行機の経験が多くなって、その後F−104の無人機運用に関係しますが、この頃初めてこの飛行機の良さが理解できるようになりました。


T−3(初等練習機)

  乗員 2名
  エンジン IGS0-480-AIF6(340HP×1)  
  全幅 10m  
  全長 8m  
  全高 3m  
  全備重量 1,500kg
  最大速度 360km/h(水平速度)  
  航続距離 960km  
航空自衛隊のパイロットはT−3で初めて空を飛ぶ。T−3の母体は1953年に採用されたT−34メンターである。しかしながら採用から20年近くも経ち、より高速で高空性能のよい機体が求めれれることになった。
T−3は、T−34メンターの後継機として機体の共用化を極力図りながら、こうした時代の要請に応えるためエンジンはスーパーチャージャーつきのライカミング(340馬力)に換えられプロペラも3枚になった。また航法、飛行計器の機器の近代化が図られた。初級操縦課程の学生教育に50機が運用されている。
よっちのコメント
搭乗期間:昭和56年頃〜昭和58年頃
飛行時間:約750時間
初めての教官がT−3でした。
当時、F−104からT−3でしたので、この飛行機ならば墜落しても死ぬことがないというような安心がありました。
また、学生も最初の飛行訓練のため、いわば箸の上げ下ろしからというように、初歩の初歩の教育のため、遣り甲斐のある時期でした。
ここでは、学生の教育のため、自分でもよく勉強したと思います。
おかげで、この期間に事業用操縦士、教育証明の資格を得ることが出来ました。
この飛行機は、最初の練習をする飛行機にふさわしく、性能も特性も素直な飛行機です。
アクロ飛行も全て可能です。
ただし、ロール系苦手です。
横方向の安定性が良いため、横転(エルロンロール)実施時は、渾身の力をステックを加えてゴロリと回る程度でコツが必要です。
レシプロ・エンジンは、空気を吸い込みこれに燃料を混ぜて燃やすため、高度が高くなると空気が薄くなるとエンジン出力が低下するのですが、スーパーチャージャー付きエンジンは富士山の高さを越えても上昇して行きます。
T−34メンターでは、山の谷間に入り込むと、高度が高くなるに従い上昇できず、曳きかえす空間もなくということで遭難することが多かったと言います。T−3になりこのような危機状態となっても、難なく上昇してしまうほどの性能差がありました。


T−2(超音速高等練習機)

  乗員 1名
  エンジン TF40-IHI-801A(3,200kg×2)
  全幅 7.9m
  全長 17.9m
  全高 4.4m
  全備重量 9,800kg
  最大速度 マッハ1.6
  実用上昇限度 15,000m
  航続距離 2,500km
  武装 20mmGun/AAMサイドワインダー等装着可能
T−2は、小型軽量の超音速機を使用して、経済的に、アフターバーナー付きの超音速戦闘機特有の飛行性の習得と、最新の攻撃・航法システム、火気管制装置の取り扱いを覚えさせる目的で開発された練習機である。したがって、亜音速のジェット練習機の課程を終了したパイロットによって容易に乗りこなせる操縦安定性をもちながら、有事の際には戦闘機の補助として活用できる高性能を備えた実用機でもある。
初めての超音速機だけに、いろいろの難関に突き当たったがひとつひとつ解決をみて、1969年4月24日に実物大模型審査を終了、71年4月28日にロールアウト、同7月20日初飛行した。
量産初号機は75年3月26日に引渡しが行なわれ、76年初めから松島の第4航空団でT−2による学生訓練が始まった。T−2の稼働率は高く、実用化は順調に進んだ。
T−2の独自の技術を端的に示しているのは主翼である。横操縦は、独特のスロッテッド・スポイラーで行なわれ、エルロンはない。高揚力装置は、全翼幅にわたる前縁フラップと翼幅70%にわたる後縁のシングルスロッテッド・フラップと言う単純な構成である。
降着装置は、胴体引込のスイングレバー方式を使っている。
兵装は20ミリバルカン砲1門、両翼端にIR AAM、5箇所のハードポイントに500ポンド爆弾12発、ロケット弾ポットなどの装備が可能である。
よっちのコメント
搭乗期間:昭和60年頃〜平成8年頃
飛行時間:約1900時間
パイロットとして一番充実していたころに乗っていた一番飛行時間が多い飛行機である。特性はF−104に似ており、F−104より旋回性能を良くして、スピードは犠牲にした飛行機である。F−104は一流の戦闘機であるがT−2は戦闘機としては2流である。しかし練習機としては一流と思う。
戦闘の基礎の教育と言うことで、要撃戦闘、空対空射撃、空中戦闘などを教育した。空対空射撃訓練は、空中操作、編隊飛行、航法、計器飛行、要撃戦闘、空中戦闘課目を全て応用して飛ばなければ飛べない課目である。最終的には単独で、100発の20ミリ弾を撃って来れる技量まで高めなければならない。空対空射撃の単独飛行に出れなくてパイロットを戦闘機パイロットになれなかった学生が大勢いる。
松島の天候の悪さには泣かされた。冬の雪と台風並みに吹く横風、春から夏にかけてのシー・フォッグ(海霧)である。天候が厳しくかつ、与えられた学生教育の時間が多く、かなり厳しい訓練環境であったが、無事に事故もなく過ごすことができた。この間T−2ブルーの2機の海没事故があり後輩2名が殉職された。


T−4(中等練習機)


  乗員 2名
  エンジン F3-IHI-30(1,670kg×2)  
  全幅 9.9m  
  全長 13.0m  
  全高 4.6m  
  全備重量 5,500kg
  最大速度 1,040km/h  
  航続距離 1,300km  
T−4は、日本の航空工業会が総力を結集して開発した純国産の中等練習機である。T−4は機体はもとより、エンジンから搭載装備品に至るまで、ほぼ100%国内技術で作られている。真の意味で「国産」と呼べる、戦後はじめての航空機である。
T−4の開発は1981年から始まり、試作第1号機は85年4月17日にロールアウトした。T−4量産一号機は88年6月28日に進空。
T−4は航空自衛隊の飛行教育体系の中で、T−33とT−1に代る新時代の中等練習機である。これから先21世紀初頭まで使用することを念頭に置いて作られている。
T−4の設計方針の一つは、新技術を積極的に取り入れることである。この方針に従って、T−4には開発の段階で考えられる限りの新技術が採用された。レーザージャイロ方式の姿勢方位基準装置、デジタル・データ−バス・システム、機上酸素発生装置、複合材の多用などである。l
T−4の最大の特徴は、初等練習機から高等練習機への移行を容易にするため、低速から遷音速に至るまでの安定した空力特性と高い運動性をもつ新型の遷音速翼型を採用したことにある。主翼前縁部にはドッグツースが設けて、良好な失速特性を確保している。
胴体形状は、主翼との結合部でエリアルールを適用するとともに、スピン運動に適した空気取入口を採用。操縦席はタンデム配置になっており前、後席ともに視界は良好である。垂直尾翼は、スピン運動中の機体姿勢を安定させるため特に大型とし、水平尾翼はオール・フライングテイル方式となっている。
主要搭載機器としては、ヘッドアップディスプレー(HUD)装置、レーザージャイロ方式の姿勢方位基準装置(AHRS)、などがある。そのほかにも通信・航法機器もT−4用に開発した最新の国産装備品でまとめている
よっちのコメント
搭乗期間:平成2年頃〜現在
飛行時間:約500時間
特性は上に書いたように良い飛行機である。当初、故障の多発、速度計、高度計の誤差問題、ピッチの不安定さ、ブレーキの効きすぎ、国産と言うことでパイロットに不評であった。しかし徐々に信頼性を高め現在に至っている。航空機は作るものと運用者との共同で良い飛行機に作り上げるものであると思う。しかし最初からそのポテンシャルに高いものがないと、良くはならない。
岐阜の飛行開発実験団で勤務していた同期の水島氏も、T−4開発に尽力された。
現在、浜松で教官としてT−4の乗っている。
T−4は、F−86にアフターバーナーをつけたような特性を有するといわれる。
良い飛行機は、操縦特性が良好で誰でも操縦でき、かつパワーに余裕があり高い機動性を有するものである。こんな飛行機であり、T−4ブルーインパルスの動きを見ればそのすばらしさが理解できると思う。

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