よっちのホームページ yocchi'sHomePage
NewsHome->->東京散歩(門前仲町、深川)

中央常磐東海同期紀州糸魚長浜鎌倉家康那覇横浜函館常滑徒歩八高房総連休新宿台場横浜柴又湯島隅田早稲本郷靖国広尾品川山陰磐越|深川|千鳥浅草根津亀戸石神代官四谷茗荷原宿中野浦安北@北A北B北C北D赤塚

東京散歩(門前仲町、深川)(15.2.15)


門前仲町駅一番出口から出発。




深川不動堂の入り口




深川不動堂は、1703年(元禄16)、五代将軍徳川綱吉の母、桂昌院が
成田山新勝寺の参拝を願ったため、永代寺で江戸出開帳を行ったのが起こり。




すぐ近くの富岡八幡宮
15、28日にはフリーマーケットが開かれる。




深川七福神を巡る。
境内には恵比寿神を安置する宮があるとあるが、
探し回る。たぶんこれか?



国指定重要文化財(建造物)
旧弾正橋(八幡橋)
富岡1-19〜富岡2-7
昭和52年6月27日指定

八幡橋は、明治11年東京府の依頼により工部省赤羽製作所が製作した長さ15.2メートル、
有効幅員2メートルの単径間アーチ形式の鉄橋である。もと京橋楓川(中央区)にかけられ
弾正橋と称したが、大正2年(1913)市区改正事業により新しい弾正橋がかけられたの
で、元弾正橋と改称した。大正12年関東大震災後の帝都復興計画により、元弾正橋は廃
橋となり、東京市は、昭和4年(1929)5月現在地に移して保存し、富岡八幡宮の東隣り
であるので八幡橋と称した。アーチを鋳鉄製とし、引張材は錬鉄製の鋳鉄混合の橋であり
かつ独特の構造手法で施工してある。この橋は鋳鉄橋から錬鉄橋にいたる過渡期の鉄橋
として近代橋梁技術史上価値の高い橋である。
江東区教育委員会




冬木弁天堂
由来
冬木弁天堂は、材木商冬木五郎右衛門直次が承応3年(1654)に江州竹生島(滋賀県)の
弁財天の分霊を日本橋茅場町(中央区)の邸内にまつり、宝永2年(1705)にその孫、弥平次が
この地に移したと伝えられています。
冬木家は、冬木町一帯に広大な屋敷を構える豪商で、東京国立博物館には尾形光琳の描いた
冬木小袖と呼ばれる着物が所蔵されています。
深川七福神のひとつ(弁財天)として親しまれています。
江東区教育委員会

深川ゑんま堂(法乗院)



心行寺(福禄寿)
由来
心行寺は雙修山養源院と号し、開山は、光蓮社団誉一露屋道で、養源院は開基です。
元和2年(1616)に、八丁堀に創建され、寛永10年(1633)に現在地に移りました。
養源院は岩国藩主吉川広嘉(1621〜1680)の妻で、承応3年(1654)に没しました。
広嘉は岩国藩主として二代目で、延宝元年(1673)には、錦帯橋を架橋しています。
深川七福神(福禄寿)のひとつとして親しまれています。





明治小学校開校130年


円珠院は、享保のころ旗本永見甲斐守の娘、お寄の方が起立した後、
円珠院殿妙献日寄大姉の法名で、享保十五年末(1730年)にこの寺に葬
られました。 享保五年(1720年)十一月十三日に画かれた大黒天の掛軸
があり、木造の大黒天が安置、境内に石造の破損大黒天が安置されています。
江戸時代から、深川に大黒天として有名でした。

住所:江東区平野1-13-6




龍光院 毘沙門天




深川江戸資料館
江戸時代の深川佐賀町の街並みを実物大で再現。




清澄庭園
福寿草が咲いていた。




深川稲荷神社の布袋尊


隅田川沿いの芭蕉庵史跡展望庭園から


寿老神の深川神明宮


昭和2年、カツレツをイメージして作った洋食パンが、元祖カレーパンのルーツ。
ここでカレーパンを買う。

パンフレットの内容を紹介します。
元祖カレーパン
当店の前進は、明治10年に深川常盤町で創業さ
れた「名花堂」といい、昭和2年「洋食パン」の
名で実用新案として登録されたものが「カレー
パン」のルーツです。
元祖かれーにはパンは、人参・玉葱など野菜が
たくさん入っています。また高級な植物性の
サラダ油、綿実油で揚げていますのでモタレ感
がなく、健康にも大変良い食べ物です。
東京都江東区森下1−6−10
TEL 03-3635-1464


都営新宿線の森下駅


七福神めぐりは、元旦から正月一五日までの間、開帳される。
この時期に、もう一度回りたいと思いながら、古きよき町並み
を堪能した。