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ヨーロッパ紀行(GFさんからの投稿)


ツアーで目撃したミリタリーなスイス投稿者:GF 投稿日: 1月15日(火)17時31分24秒
標識
スイスに入国して高速道路を走っていると戦車の画に同心円を描いた
標識が。
標識下部には○Kmなどと書いてあり。
だんだん数字が減っていきます。
1kmの標識を過ぎると高速道路左手下にありました。
「演習場が。」
小銃射撃場にはいささか長射程の射撃場と市街戦訓練用と
思われる家屋が設置してありました。
距離は高速道路から数百mしかありませんから、使用中は
射手と運転手が互いに「視認可能」という構造でした。
標識は「砲声に注意」だったんですね。

スイスの射撃場
やはり高速道路を走っていると、左手にライフル射撃場がありました。
こちらは射程200mくらいの規模だったでしょうか。
この射撃場の構造でまず驚いたのは「高速道路の方向に射撃する。」
構造になっていることです。
そして安土が標的後方にしか設置されておらず、射撃場側面が完全
に解放されていますので、こちらも射撃中は射手と運転手はお互い
に「目撃可能」です。
有名なユングフラウヨッホに向かう途中の観光道路から、わずか
10mほど離れたところに射座が設置された射撃場(ライフルおよび
トラップと思う)がありますが、こちらは道路と反対方向に射撃する
構造ですので、運転手から射手を見ることはできます。

スイスの射撃
兵役年齢にある成人男子は自動小銃等の武器弾薬や軍装を自宅
保管することが「義務」付けられており、射撃の検定もある
ことから日本の公民館なみに射撃場が設置されているそうです。
9mmけん銃の原産メーカーであるSIG社などの有名銃器
メーカーも存在しています。
クロスボウの名手、ウイリアムテルの国であることから、
スポーツ射撃も盛んなやよです。

スイスの飛行場
「おおー。すごい滝だなー。」と山上を見上げていた視線をはるか
深い谷底に移すと「えん体のある飛行場」が下界に見えたなんて
ことがときどきありました。
だいたい反対方向から進入して着陸するにはスプリットSが
必要なのではという深い谷底に位置している例が多いようでした。
実際に飛行機が飛んでるのを見たのは、有名な観光地インター
ラーケンオスト駅よこの飛行場でピラタスポーターがえん体
より引き出され飛んでいるのを1回見ただけでしたが。

スイス在住経験の乗り物好きな方にお話をお聞きすると、
スイスの戦闘機は国内2箇所の飛行場に集中配備され、
有事にはやや奥地の予備飛行場に移動するとのことでした。
又、パイロットもスイスエアとの兼任という予備役組が
かなりの比率を占めるそうです。
予備飛行場が破壊されたり、予備役パイロットが動員される
と私が見たような谷あいの飛行場を使用して徹底抗戦する
計画なのでしょう。
そう言えばピラタスの飛行を地上で見守っていた人々の
半分くらいは私服のようでしたし、飛行場の中に
羊だかなんだか草を食べてるなんてのも見たことがあります。
(土地を貸したか売った人に不使用時の入会権が認められて
いるのでしょう)

飛行場だけでなく高速道路も利用する計画のようで、運がよければ
高速道路が通行止めになり、向こう側からF−5などの戦闘機が
離陸してきたり、道路横岸壁の迷彩ハッチが開いて軍用機が
出てくるところが目撃できるそうですが、残念ながら迷彩ハッチ
しか見ることができませんでした。
まあ、ツアーが演習をしてる時期にそんなところ通るわけないですが。(笑)



アウトバーン 投稿者:GF  投稿日:12月18日(火)09時55分15秒

たしかにドイツ車が多かったようですが、EU域内ではパスポート検査もなく
行き来できるために各国の車が走っている状況です。
このために欧州では、国籍を示すアルファベット(たしかドイツはDだったと
思う)を書いたステッカーを車に貼っていることがよくあります。
日本でもこの手のステッカーを手に入れて貼ってある車を時々見かけます。
又、95年の旅行時にはドイツ国内でルノーの工場を目撃しました。
いろんな意味でボーダーレスになっているようです。
日本車に関してですが、見聞した範囲では余り見かけませんでした。
見かけたなかでは、スバル(インプレッサ?)、三菱パジェロ、日産
マーチが多かったように感じました。

戦車
梅花さんはじめまして。
アウトバーンを走行中に、米軍戦車の後を走行したところ
ゴム製部品が溶けたという話があったそうです。
米軍戦車のエンジンはガスタービンだからねというのがオチ
らしいですが、これでは暗視装置に発見されやすいので、
いわゆる都市伝説の類なのかも知れません。
NATO軍の戦車が公道に出る時には、黄色回転灯や黄色
反射板を装着して一般車の事故を防いでいるようです。

無くなった○○
95年の旅行時にバスでアウトバーンを走行中の時の話です。
私は、その時、流れさる道路わきの地面(畑だったと思う)を見ていたのですが、
いきなりその地面が
「無くなってしまった。」
のでした。
バスのなかでは「オオー。」という声が湧き起こりました。
なにが起こったのかというとバスは大きな谷間に架橋された
橋に差し掛かったのでした。
それもただの谷ではありません。
下を見ると、はるか下にそこそこの大きさの村が見え、
村のなかの道路を車が走っているではありませんか。
まるでバスでなくてヘリコプターに乗っている気分でした。
しかし、村一つ入るような谷間を突っ切って架橋するとは恐るべし
ドイツ。


高度 投稿者:GF  投稿日:11月30日(金)12時56分41秒
管理人さんみなさんはじめまして。
GFと申します。
>最高高度38000フィートまで上昇します。
>空気は、地上の1/5になり、酸素を吸入しなくて
>は生きていけない高度です。

先日、欧州旅行のおりユングフラウヨッホ(スイス)に登山電車にて登りましたが、
高度が高くなるにつれスナック菓子の袋がパンパンに膨らんでしまいました。
高度は3400mくらいでしたが、うっかり早足で歩いてしまったために
息苦しくなり視野狭窄に陥ってしまいました。
3400m程度で、このくらいの影響がありますので、酸素を吸ってるとは
いえ38000フィートとは想像できない環境ですね。

ユングフラウの翌日にはモンブラン(フランス)横の山頂にある3800mの展望台まで
ロープウエイで登りましたが、前日の失敗に懲りて慎重に行動したために
異常はありませんでした。
展望台にいると爆音がしたのでそちらを見ると、フランス空軍のミラージュ
らしい三角翼の戦闘機が、展望台とモンブラン横の谷あい(展望台右手)
を抜け下降右旋回(こちらから逃げる方向)で別の谷筋に入るところでした、こ
れは展望台と隣の峰(イタリア領)との間のロープウエイを避けるための機動だったと
思われますが、最初に目視した時点で既にこちらより低かった高度がさらに下がり
まさしく山々のあいだを縫うように飛行する状態になっていました、このために
ミラージュは前方の岸壁をかわすために左に急激な旋回をうち、機首を再び
展望台方向に向けた後、こちらに接近して展望台の左下方の蔭に爆音とともに消
え去りました。
おそらくパイロットでない人間が、自分より下方で機動する戦闘機を目撃する
ことは二度とないでしょう。
良好な天候とともに幸運に感謝した次第です。


(無題) 投稿者:GF  投稿日:12月 3日(月)11時02分16秒
みなさんこんにちは。
HNは、「連合艦隊」の略号という説もありますが、「ゴロゴロフラフラ」の略
という説もあります。(笑)

>欧州旅行の話でも聞かせていただければ幸いです。
ではお言葉に甘えて「軍事オタクが参加すれば通常のツアーで
これだけ目撃できる。」という記事を少しずつ書いていきたいと思います。
旅行は5月末期から6月初等でした。

成田からフランクフルト・マイン空港まで。
成田を飛び立ちシベリア上空に入ると森林や全く治水を行っていないと思われる大河
ばかりになり、ほとんど人工の構造物がなくなります、巡航するジェット機から見ても
そうですから、いかに茫漠たる大地かわかります。
飛び立って数時間たつと緯度が高くなるのか、下界は一面の凍りついた大地と
なり川も湖も凍っています。
ここもたまに道路らしいものを見かける程度で、たまに町らしいものを見かける
とどうやって生活しているのだろうと人事ながら心配になってきます。
私の乗った747は、各人にカーナビのような映像と機載カメラ(前方及び
下方)の映像が見れるモニターがあったので便利でした。
フィンランドに入ると、多数の島、湖沼、船舶が見えるようになりました。
いよいよフランクフルト空港に近づくと他の機体や飛行機雲を資認するように
なり、空域の混雑具合をうかがわせました。
光線の具合は飛行機雲が黒く見え、なにやら「蛇」を思わせたのを覚えて
います。
そして無事着陸

フランクフルト 投稿者:GF  投稿日:12月 5日(水)10時10分33秒
フランクフルト・マイン空港
747は無事着陸。
入国審査手続きへ。ドイツではパスポートの確認はブンデスゲレンシュッツ(国境
警備隊)という准軍隊組織が行っています。詰め所には、ドイツ語とともにフェデラル・
ボーダー・ポリスの英語表記が。
彼らは、SIGザウエル系(いいかえると9ミリけん銃系)と思われる大型けん銃を携帯
して執務していましたが、別に撃たれるこもなくパスポートにハンコを押してくれて
無事入国(あたり前か)

周辺の日本人は、けん銃にすこし驚いていたようだが、95年に来たときにはもっと凄
かった。
その時は、空港内を巡回していた女性国境警備隊員と遭遇したのですが、彼女は身長
180センチくらいの長身で、いわゆる金髪碧眼、どことなくナチスドイツを思わせる
制服制帽(男性隊員と同じ制服を着用してると思う。)を着用して無表情ですべるように
接近してきました。
なにやら「その手の趣味」の人が好きそうな雰囲気だな(笑)と思って彼女を見ると、案の定
その手には「ムチ」が。じゃなくて、ドイツの誇る短機関銃「MP5」が握られていたの
でした。
よく見ると弾倉も装着され、右手はしっかり銃把に添えられていました。
私はこれを見て「外国に来たんだな。」と思ってしまいました。
当時はパリで爆弾テロが行われていたので、この影響かもしれません。
5月時点では、このようなこともなく「平和になったんだな」と思った
のですが、例のテロ以外、飛行機に乗るまで3時間くらいかかることも
あるらしいので警備も逆戻りしてるかもしれません。

話が逸れましたが、入国審査後に荷物を受け取ると税関へ。
前回は抜き打ち荷物検査がありましたが、今回はそれもなしに通過。
税関の連中もSIGザウエル系らしいけん銃を携帯してました。

空港に着いたのは18・00くらいだったのでバスに乗って、そのまま
ホテルへ。
上空を見ると井の字に飛行機雲が見え、かなりの交通量なんじゃなと
感心。
とちゅうで、「えん体」のある飛行場を見るも現在使用中かどうか不明。
ホテルに到着すると、周辺を森に囲まれた郊外型のホテルでした。
庭もかなり広く、部屋から見ると庭のあちこちにテーブルが用意され、
ビールなどを飲めるようになってるようでした。
「これがほんとのビアガーデン」(寒い)などと思ってしまいました。
翌朝早いので、飲みに行くのはあきらめ、寝ようと思ったのですが、
これがいつまでも明るいんですな。
夏時間ということもあるのですが、21・00くらいでも明るい。
「やっぱ緯度が高いんじゃな。これじゃノルマンディーで連合軍の
ヤーボが活躍するわけじゃ。」と思いつつ就寝。

今回の旅行は、カミさんと義母と同行。
次回はライン川下りからハイデルベルグくらいまでかな。

いろいろ 投稿者:GF  投稿日:12月 6日(木)10時25分58秒
製氷皿
言いえて妙ですね。
シベリアというと平原ばかりのようですが、結構な山地もあるようですね。
かなり起伏にとんだ山地上空を飛んだのですが、あとで地図を見ると
シベリア高原とか書いてありました。

ライン川下り
翌朝、バスに乗ってライン川へ。
リューデスハイムという町から遊覧船に乗船。
船は、300トンくらいか。
新しくてきれいな船だった。
船橋を後ろから見れるようにガラス張り(後方視界確保もあると思う。)
なので覗いてみると、私服の船長が1人で操船。
舵輪はなく左右に二つ付いたレバーを操作していた。
どうもスクリュー(2軸)そのものの方向を偏向させるアクチブラダーらしい。
バウスラスター(船首のトンネルに横向きスクリュー設置)もあるので、くるり
とよく回る。
なんでくるりと回る必要があるかと言うと船着場に着くときは、川上側に
船首を向ける必要があるんですね。
川なんで結構な流れがありますからね。。
船橋には舷側を写すTVモニターとバックミラーがあるので、船長は操舵
コンソールを離れることなく安全に着岸できる構造。
機能性だけでなく清潔で「クリーンなオフィス」という感じ。
客室の方では、アルコールを含む飲み物と軽食を頼むことが出来、こちらも
清潔な感じ。

ライン川両岸には、次々と城が現れてたは消える。
なんでこんなに城が多いかというと、ライン川を通る船から通行税を取る
ためだったからとか。
しかも、昔のドイツは日本で言う「殿様」クラスの地方領主がたくさん
いたのでそれぞれが徴税のために城をたくさん建ててしまったらしい。
税金を取られるほうはたまりませんな。
廃墟になってるものもあれば、修復されたものもあり。現在ホテル
として営業している城もあるとか。
ワインの原料となるブドウ畑も両岸の山肌に多々見られる。

他の遊覧船や河川用の貨物船と多数行き会う。
遊覧船には外輪船もあった。
貨物船はドイツだけでなくオランダなどの外国船も多い。
まさしく国際河川ですな。
甲板に港に着いたときに使う自家用車や子供が遊ぶ
滑り台を設置した貨物船が多い。
娘さんらしい若い女性が甲板でペンキ塗りしている
のも目撃
親父さんが船長兼船主という営業形態が多いと推察。
船=家=仕事場というところか。

終点間際で、女性の歌声に聞きほれていると船が座礁してしまうという
伝説で有名なローレライの巨岩を通過。
このあたりは流れが速く実際に難破が多いところだったらしい。

ローレライを過ぎたところのザンクトゴアハウゼンという町
で下船。
バスで、古城と大学の町ハイデルベルグへ。

いろいろ 投稿者:GF  投稿日:12月 7日(金)10時06分07秒

ハイデルベルグ
バスは古城と大学の町ハイデルベルグへ
ここはネッカー川という川のほとりにある町。
ここの大学は、世界でも3番目に古いという名門校で、当然ドイツでは最古。
なんでも入学試験なし、学費ただ、外国人でも入学自由ということで結構
尽くめのようだが、2回落第すると即退学。
やはり甘い話ばかりではない。

山の上の古城に登る。
お城ではお妃様のために、王様が一晩で作らせた門や、22万リットルいう
家一軒ぶんもある巨大ワイン樽を見学しました。(自領のワイン宣伝のために
王様が作らせたらしい。)
おもしろいのは、城の石畳にくっきりと「足跡」が残っていることです。
これは、「間男」をしてた騎士が、だんなが帰ってきたので慌ててとびおりた
ときに出来た足跡だという伝説があるそうです。
ガイドさん(現地在住の日本人)は、お城の説明をする時に王様でなく
「殿様」という言い方をしてました。
ドイツでは、19世紀末にドイツ帝国(ビスマルクが有名ですね。)が成立
するまで、強力な統一国家がなく、小王国の連合国家だったらしいですね。
ドイツ全体の王様でないので、「殿様」という用語をあえて使ったようです。
(ライン川に多数の領主が通行税用のお城を建てたのもこれが原因のようです。)

この町は近隣で採れる赤色砂岩という石を使用しているので、町の建物が
全体的に赤っぽい色をしています。
石と言えば道路も石畳になっているので歩く時に足が疲れます。
そのためか、ベビーカーも四輪駆動車のようなごついタイヤを履いています。

次回は、ハイデルベルグで見た機動隊(オタクだ。笑)とネッカー川ぞいの
古城街道くらいまでかな。

写真 投稿者:GF  投稿日:12月 7日(金)13時17分46秒
文章だけでは、イメージがつかみ難いので、写真の載ったサイトを
紹介します。

写真中央奥がハイデルベルグ城。
手前の川がネッカー川。
橋はカールテオドール橋といいます。
大学は、橋を渡った向こう側にあります。
(市街地のあちこちに大学の建物が建ってる形式なのでここだけではないかも
しれません。)
城や橋が赤っぽいのが解ると思います。
城も橋も現在はのどかですが、両方ともフランスとの戦争を経験している
そうです。
城の写真をよく見るとルイ14世に爆破された塔のあとがわかりますし、
(中央やや右手の構造物が凹面を形成しているように見える部分)
写真右側に見える白い塔は、橋を守る「トーチカ」用途のものです。
(同じ塔が右側にももうひとつあり両塔の間を通って橋を渡るしくみ)

いろいろ 投稿者:GF  投稿日:12月 8日(土)17時38分30秒
60年
あれから、60年もたったのですね。
真珠湾。
「冬枯れや昭和も遠くになりにけり」虚弱子

食事
ツアーの朝食はいわゆるコンネンタル式でパンとコーヒー等
の飲み物だけという簡素なものが多かったのですが、米国の
団体と同じホテルだと玉子料理やベーコンなども付くアメリ
カン式のことがありました。
しかし、向こうのベーコンの辛いこと、日本に帰って
飲食関係の人に聞くと、向こうのベーコンは「香辛料」
として使うのが本当なのだそうです。
どおりで辛いはずです。米国人が来たからあり合わせの
ものを出したれ、ついでに日本人にも食わしたれと思った
のかもしれません。

昼食や夕食に関しては、今回のツアーは、恐牛病の影響で肉料理
が少なく、ソーセージや魚料理がよく出ました。
おかげで95年の旅行より胃がもたれずにすみました。


昼食や夕食の飲み物は別オーダーでした。
水よりもワインやビールの方が安いので、当然安い
方を各地で飲んできました。(笑)
ただ、昼酒は酔いが早く、慣れるのに3日程かかりました。(笑)
モンブラン横展望台のフランス人作業員も昼食のときに
ワインを飲んでました。
連日30度ほどの気温があったのでビールはイケました。

ジュースとコーラ
カミサンたちは最初はジュースを頼んでいましたが、
シロップのようにやたら甘い液体が連続して出てくる
ので、3日目くらいコカコーラに切り替えそれで通しました。
なぜか日本のものよりスッキリした飲み口で日本のもの
よりおいしく感じました。

買い物
買うのはカミサンたち。運ぶのは私。(以上)

ハイデルベルグの機動隊
大学のそばで、左右どちらの派か判らないのですが、
デモが行われており機動隊が出動していました。
装備は緑色の出動服に同色の防弾衣を着用し、
頭にはベレーを被っていました。
腰にはコン棒とでも言うような大型警棒(日本
で使っていた木製警棒よりずっと大型)を差し
、小脇に面付きヘルメットを抱えていました。
日本と違うのは、SIGザウエル系らしい拳銃を
ショルダーホルスターで携帯していることで、
(格闘の時に取られないのか他人事ながら心配)
デモ規制の時に銃を携帯しない日本との差を
感じさせました。
もっとも日本と一番違うのは、機動隊員の
4分の1くらいの隊員が「女性」だったこと
です。
空港の女性国境警備隊員は「女王様」(笑)を
思わせましたが、こちらの方は心なしか、
ガッチリした感じの女性隊員が多く、
「アマゾネス」を思いだしてしまいました。

デモそのものはたいした混乱もなく終了した
のでメデタシメデタシ。

ドイツの警察車両は、白黒でなく白緑に塗り分け
されておりました。天井のランプも、赤でなく青
色であり日本と違っていました。
発光形式もストロボ発光式のものが多用されていました。

ネッカー川ぞいの古城街道は次回に

活動地変更 投稿者:GF  投稿日:12月11日(火)13時05分31秒
飛行機雲
欧州では、航空機のトラフィックが集中している地点があるのか、
複数の飛行機雲が=になっていたり+になっていたり#になっていたり
している地点がところどころ見られました。
飛行機が旋回を行い ( みたいな飛行機雲がしばしば見られる
のも日本と違うところです。

古城街道(ドイツ)
ハイデルベルグはネッカー川が平野に流れ出る地形にあるのですが、
われわれは川の上流方向、すなわち山へ向けてネッカー川沿いの道へ
出発しました。

余談ですが、1980年頃ハイデルベルグにあったNATO軍司令部
(現在でもあるかも)に勤務していた米軍将軍がネッカー川沿いの道
を車で走行中にテロリストにロケット砲(アフガンで多用されている
RPG−7と思う)で襲撃されたことがあったそうですので私も現場
を通過したかもそれません。
ロケット弾は、ベンツ(防弾仕様)のトランクに命中したそうですが、
将軍は軽症を負っただけで助かったそうです。

話を戻します。
ネッカー川は、ラインと同じように水運が盛んです。
そのために水位を保つためにところどころに水門があります。
(このうちのどれかにテロリストが隠れていたらしい。)
船はパナマ運河と同じように水門に設けられた2重扉の
間に入って上流や下流の水面に上下したのちに水門を
通過する仕組みのようでした。
川では貨物船だけでなくモーターボートなどのプレジャー
ボートなども見られ、沿道の町にも錨などのモニュメント
が見られ、住人と水運には深い関係があるようです。
船=海という考えは、こちらではあてはまらないようです。

さて古城街道というくらいで川沿いに次々と古城が現れます。
これは、やはり領主の居城のほかにやはり船の通行税を
とる目的があったようです。
又、添乗員さんの解説では「盗賊騎士」という連中の根城に
なっていた城もあったようです。
どうも戦乱の時代には、「七人の侍」に登場するような、
野武士のような連中がドイツにもいたようです。

次回はローテンブルグかな。


ドイツでは橋梁にかならず50とか30とか数字がついた標識が立って
います。
最初はなにかわからなかったのですが。
ある橋にトラックの絵とともに50、戦車の絵とともに30という数字が
書いてある標識があるので、それが軍用車両の重量制限を示す数字で
あることが解りました。
橋によっては装輪車両と装軌車両で重量制限が違う場合があるので分けて
書いてあったのでしょう。
さらに戦車の絵の横に↑100と↑↓50という二つの標識が立っている
橋がありました。
つまり一方通行の場合と「対向戦車」ありの場合で重量制限を分けて表示
しているわけですね。
ドイツらしい細かさです。
ドイツ軍は、敵に橋の重量制限が知られるよりは、味方部隊がすばやく
橋梁を通過したほうが有利という思想のようですね。
逆に橋の写真禁止なんて国があるのは逆の発想なのでしょう。
そう言えば外国の戦争映画には橋がまつわるものが多いような気が
します。
アウトバーンの橋にはこのような表示はありませんでしたので、
すべての軍用車両に「対応済み」なのでしょう。

ローデンブルグ 投稿者:GF  投稿日:12月12日(水)10時10分29秒
ローデンブルグ
ローデンブルグは小さな町なのですが、中世の町並みがそのまま保存されています。
まるで、西洋のおとぎ話に出てくるような町並みがそのまま眼前に出現
したような感じです。
町並みが保存されていると書きましたが、実は第二次大戦で町の40%
の家屋が焼失してしまったのをわざわざ復元したのだそうです。

建物自体が日本のものと違うのは当然ですが、日本と違うのは町全体が城壁
に囲まれていることです。
実際にここの城壁も実戦を経験しており、ドイツ国内が旧教徒と新教徒に別
れて戦った30年戦争(1618〜1648年)の時には、城壁も役に立たず
旧教徒のティリー将軍(「甲冑の聖者」という異名を持つ武田信玄みたいな戦
上手だったらしい。)に攻められ町を焼き払われる寸前までいったそうです。
この時に市長が和平交渉に向かったのですが、一杯気分の将軍が「3.2リットル
のワインを一気飲みしたら許したる。」などと言ったので「よっしゃ」とばかりに
市長が挑戦、見事にワインを飲み干して町を壊滅の危機から救ったという故事があ
るそうです。
この故事は市庁舎のカラクリ時計に再現されたます。(紹介URLの「ビールの
ジョッキ」は「ワインのジョッキ」が正しいようです。)
尚市長さんは3日間眠っていたそうですが、回復して長生きされたそうです。

ワインと言えばこの地方はフランケンワインという平べったいビンに入った
ワインが特産なのですが、昼食の時にそのフランケンワインを頼むと通常の
グラスの2倍ほどの大きさのやつに注いでもってきてくれました。
同じものを頼んだおばさんと顔を見合わせたのですが、飲んでみるとおいしい
ので全部飲んじまいました。(笑)
おばさんも結局全部飲んでました。(笑)
ところが慣れとは恐ろしいもので、この頃になると体が「昼酒モード」に入った
のか、さほど酔はずに午後の観光を行うことができました。(写真の見晴らし台に
私も徒歩で登りました。ふうふう言って最上階に上ると料金所があるうまい仕組み 笑 )
他の町で飲んだフランケンワインよりも格段においしかったのは、防腐剤の入って
いないほんとうの「地ワイン」だったからかも知れません。

市内を観光していると銃砲店(兼みやげ物屋)があったので入って見ることにしました。
店内にはブルパップ型(弾倉が引き金の後ろにあるタイプ。全長を短縮できる。)
のボルトアクションライフル(38式歩兵銃のように手動で次弾を薬室に装填するタイプ)
という珍しい銃が多数あったので店員にカタコトの英語で聞いてみるとこの銃はカスタム品
で、店の奥でご主人がこつこつ製作しているとのことでした。
店内にはけん銃も多数陳列してあったのですが、きれいな彫刻が表面に施されていました。
これも店のご主人が入れたのでしょう。

次回はロマンチッツク街道からミュンヘンあたりかな。

おっと 投稿者:GF  投稿日:12月12日(水)10時13分31秒
ローデンブルグの写真を撮られた方のサイトを紹介しときます。
(禁リンクではなかったようなので)
http://www.asahi-net.or.jp/~WM4M-YMGS/germany/rodenbrg.htm

 投稿者:GF  投稿日:12月14日(金)10時28分05秒

>一日に三合以上飲む人では、死亡率も高くなるそうですから、
>少量の酒なら、まさに「百薬の長」になるわけです。
わたしは、「三合以上」の口です。(笑)

フランスでは、消防士が飲酒後に筋トレをしている映像を見たことがあります。

フランスの軍艦をサーベル礼装姿で表敬訪問した1等海佐(駐在武官)は、艦内に
入るなり「ワインはなにを飲むか」と言われたので「据え酒飲まぬは男の恥。」
とばかりに飲んだそうですが、帰り着いてみるとサーベルが傷だらけになっていた
そうです。

イタリアでは、労働基準法により労働者に一定量のワインを飲ませないと法律
違反になるそうです。(某イタ飯屋さん談)

ベルギー(だったと思う)の軍艦には、士官食堂、兵員食堂ともに、木製の
立派なバーカウンターが備えられており後方には酒ビンが並んでいます。
(「世界の艦船」の写真より)

英国軍艦では、数百年続いたラム酒の支給は既に廃止され、現在はビールか
ワインを選択できるようになっているそうです。

欧州では水が悪いせいか、酒が水代わりのようなところがあるようですね。

ロマンチック街道
というところをバスで走ったのですが、べつになにも変わったところのない
田舎道です。(笑)
ロマンチックというのは「ローマのような」あるいは「ローマ帝国に通じて
いた道」程度の意味のようです。
又、「街道(strabe)」というのはドイツの観光当局が、宣伝のために
観光名所が連なった道筋に「○○街道」と名づけたのだそうです。
なんでも夏休みが長く、地続きの欧州では「外国にバカンス」というオプション
も充分ありえるために、まだ貧しかったドイツ当局が国内で金を消費して
もらおうと考えた企画だったのだとか。(古城街道というのもありましたね。)

現在はこの街道上を日本人が多数いきかうようになった訳ですね。
どのくらい日本人が多いかと言うと沿道の標識に
「ロマッチック街道」
と日本語で表記されているくらいの多さです。(笑)

観光地のみやげもの屋にも「炭酸抜きの水あります」とか「おにぎりあります。」
とか「出口」とか書いてあったりします。(笑)

さて私たちのバスを運転しているのはカールさんという初老の運転手でしたが、
お腹はまさしくビール腹で布袋さんのような方でした。
ドイツで観光関係をしていた方には「ドイツ人運転手は融通が利かない」
「客を客とも思っていない。」というようなことを書いておられる方が
おられましたが、彼はベテランらしくそのようなこともなく「休日の
工場内の敷地にバスを駐車させ」、客にお城の写真を撮らせる時間を
作るなど「融通」の利く人でした。
そして「トイレ休憩」のために「たまたま」停車したガソリンスタンド
には「たまたま」みやげ物屋が併設されておりこの方面でも「融通」
の効く人物のようでした。
なんと言ってもこのみやげ物屋には読売新聞(衛星版)が「たまたま」
販売されてたくらいですからね。(笑)
各観光地でも他の運転手やみやげ物屋の店員からよく声をかけられており
なかなかの「顔」のようでした。
彼はフランクフルトからずっと運転を続けており、この後のスイス
のローザンヌまで彼との付き合いが続きます。(つまり帰り
はドイツまで運転して戻らないといけない)
考えてみればタフな仕事です。
「融通」の見返りが多少あってもいいような気もします。

ドイツでは、郊外では、道が日本ほど混みあっていないために
速度制限が80kmほどになっているようでした。
カールさんはこの場合は90km位で走ってました。
町が近づくとだいたい制限は40kmくらいになります。
そうするとカールさんは制限どおりに速度に落としていました。

アウトバーンでは本来は速度制限はないのですが、商用車には
制限があり、バスは100kmとのことでした。
カールさんも概ねそのくらいの速度で走っていたようでした。

バスはベンツでしたが、そのフランスで乗ったルノーのバスより
ずっと乗り心地が良かったとは若い頃に自動車のセールスをして
いた義母の弁でした。(現在はオペルを運転している)

尚、アウトバーンの滑走路としての使用に関しては、準備に
時間がかかり実用性がないので、現在は想定外であろと、故青木
日出男氏に伺ったことがあります。
又、ドイツ国内を走行しているとグライダーの飛行場があちら
こちらにあり、上空を飛行中のグライダーを見ることがしばしば
あります。

次はミュンヘンのビアーホールかな(又、酒だ。 笑)

補足 投稿者:GF  投稿日:12月14日(金)13時28分27秒
ベンツのバス
窓枠に事故の際に窓ガラスを破れるように「ウインドー破砕ハンマー」
が装着されています。
よく見るとハンマーの柄に開いた穴に車体からプラスチック製の
棒が貫通しており、その先を溶かつぶしてハンマーを止めて
ありました。
いたずら防止と衝突時の脱落防止用なのでしょう、そして
緊急時に大きな力で引くとハンマーが外れるのでしょう。
ドイツらしい細かさです。
又、車内に冷蔵庫があるので底に保管してあったビールや
シャンパン、ミネラルウオーターなどが販売されていました。
(又、酒だ。笑)

青木日出雄氏(日出男は間違いでした)
退役2等空佐。退官後は航空雑誌「航空ジャーナル」を発行するなど
評論活動をされていましたが、惜しくもガンでお亡くなりになりました。
お話を聞いたのは20年ほど前でしたが、弾薬や燃料の集積に1週間
ほどもかかり実用的でないために西ドイツ空軍もアウトバーンの
滑走路使用は考慮していないとのお話でした。
最近は息子さんの謙知さんが活躍されています。

アウトバーン
添乗員さんの解説によればかなり以前から構想があったようですが、
やはりヒトラーにより軍用用途や雇用確保のために大々的に建設が
始まったようです。
たまに戦車隊が自走しているのに出会うそうですから、一般道路の
橋に書いてある重量表示は必要がない仕様なのでしょう。
制限時速がないのにジャンクションでの本線への新入路が日本のも
のより短いような印象を受けました。
ドイツの車は加速性がいいのでしょうか。

ドイツのグライダー
第一次大戦後、航空分野の活動を禁止されたドイツでは、なんとかパイロット
の養成を行うために制限外のグライダーの普及に力を入れたという話を聞いたことが
ありますが、現在でもグライダーが盛んですのでドイツの風土や国民性にあった
ものがあるのでしょう。